2011年10月06日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 2813 count

下高井戸村名主源太左衛門

Written By: 川俣 晶連絡先

 桜上水confidentialさんよりメッセージを頂きました。

和田堀給水所の前身は、目黒筋御場絵図にある芥溜が一つのヒントというのが私の考えで

す。旧玉川上水路にお地蔵さんがあり、そこに池があったと言っています。何かの貯水池

機能のように思っています。

代田橋と玉川上水は、その東西どちらに対しても防御の掘りとして機能したことでしょう。江戸の初期(それはある程度幕末まで引き摺っていたと思います)、江戸を攻める軍勢は府中側からという前提があったと思います。

和田堀から南へ流れる北沢川支流は、東西どちらに対しても掘の役割を果たせます。その沿道に、芹沢さんはもちろん、榎本さんなど旧家のお名前を拝見するに、ここには何らかの機能があったに違いないと思っていますが、残念ながら、そこまで知恵がまわりません。

さらなるご研究を期待いたすところです

 芥溜とは、思いも寄らない視点です。

 とりあえず、目黒筋御場絵図と現代の地図を見比べて考えてみました。

 芥溜の脇に書かれた道はおそらく仮称古環七(環七の原型通り)で、今の環七とそれほど差は無いと思います。芥溜はおそらく、現在の環七の東側あたりにあったように思います。本当かは分かりませんが。

 しかし、そこで「玉川上水 芥溜」で検索すると意外な情報が出てきました。

2.3 普請方と羽村水番所より

代田村の水番人は1739年(元文4)10月に任命された下高井戸村名主源太左衛門の跡役として見廻役を受け継いだのであるが,それは水番人の兼役としてであった.

 なぜ、遠い代田橋のことを調べていて、下高井戸の文字を見るのだ!

 しかし、何となく下高井戸と無縁では無いことが見えてきました。

 代田橋と下高井戸が無縁で無いとすると、中間にあるのは明大前の硝煙蔵。火薬庫ですね。火薬庫を中心とした防衛要塞的なものが、下高井戸から代田橋のあたりにかけて想定されていたのかも知れません。前方にも後方にも広がるのは、様々な意味で必然。

代田橋ミステリーゾーン §

 というわけで、代田橋はワクワクゾーンではなくミステリーゾーンの名を付けたいと思いますが、ミステリーになる根拠が見えてきました。軍事的な存在なら様々なものが隠されて謎になります。依然として代田橋は謎だらけですが、謎になった根拠は何となく見えてきました。

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